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上尾の歴史

◇原始・古代

上尾の歴史は市内にある400カ所以上の遺跡から約2万年前の旧石器時代(先土器時代)までさかのぼれます。畔吉の殿山遺跡からは、関東地方では珍しい「国府型ナイフ形石器」などが出土しています。 約1万2千年前に始まる縄文時代の遺跡からは土器や石器が発掘されています。また、貝塚などから当時の上尾周辺には海があったことも分かっています。古墳時代の遺跡からは鉄剣や鏡なども出土しています。

◇中世

平安時代末期になると武蔵国にも武士集団が結成され、鎌倉時代は上尾周辺も含め源頼朝に仕えた足立氏の勢力下にあり、鎌倉幕府滅亡後は足利尊氏の所領となります。このころから今も上尾市に残っている「菅谷村」などの地名が文献に登場してきます。また、当時のものとして板碑が現存しており、現在約500基が確認されています。

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板碑(いたび)

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​国府型ナイフ形石器

​板碑(いたび)

◇近世

江戸時代に入ると、五街道が整備され、その内上尾は中山道にある69の宿場町の5番目の宿として、平方は荒川舟運の要衝としてまた、原市は市場町としての発展をします

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​荒川船運

◇近代・現代

明治16年、高崎線開通と同時に上尾駅が設置され中山道とともに市街地形成の基礎になりました。明治末期には近代工業の先駆けとして上尾町や平方町に製糸工場が建てられ、昭和になってからは機械・金物・食品工場も操業して工業都市としての下地が作られました。江戸時代に上尾市域に45あった宿・村は、明治初期に40となりました。その後6区域の町村になり、昭和30年3回目の合併で新上尾町となり、昭和33年県内19番目の市となりました。

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昭和33(1958)年

市制施行祝賀パレード

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昭和36(1961)年

工場誘致を推進

昭和38(1963)年

上尾駅と東口駅前広場

~​ここから鴨川の今昔~

【鴨川の今昔】

鴨川は桶川市に源を発し、上尾市,さいたま市の西部を流れる総延長19kmの県が管理する一級河川です。流域面積は64k㎡(上尾市面積の1.4倍)で、流域には30万人以上の人が住んでいます。以前は流域が水田,畑,山林だったのが、宅地・工業用地や道路に変わったため、降った雨は一気に川に流れ込むようになりました。

▼鴨川改修工事が終了した平成13年以前は毎年のように洪水に見舞われていました。昭和61年8月洪水と平成3年9月洪水は特に大きな被害があったことから、数年にわたって改修事業(激特事業)が行われました。

▼河川改修工事は下流から順次行うことから最上流部の浅間台付近の改修工事は平成11年に始まり13年に完了しました。完了に至るまでは、昭和58年に発足した「鴨川洪水対策住民会議」の皆さんが大宮土木事務所や上尾市等と交渉・要望を重ね、大変ご苦労されました。
<参考資料 “浅間台区30周年記念誌”、大宮土木事務所発行“KAMOGAWA”>

 

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